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「モンハン」をコミュニケーションツール・ゲームに 進化させた「ポータブル」の戦略と提案。

GAME

対談

株式会社カプコン 小嶋慎太郎/一瀬泰範

2004年3月にPlayStation®2用ソフトとして発売以来、わずか5年で続々と新作がリリースされ、快進撃を続けている『モンスターハンター』シリーズ。『モンスターハンターポータブル』の登場で、さらに爆発的に人気は拡大し、2007年、2008年と2年連続で日本ゲーム大賞の年間作品部門大賞の栄誉に輝いた。
同シリーズの企画を第一作から手がけてきた小嶋慎太郎さんと、『モンスターハンター ポータブル』からディレクターを務めている一瀬泰範さんに、「モンハン」現象を生んだ仕掛け人として、お話をうかがった。

『モンスターハンター2(ドス)』と 『モンスターハンター ポータブル』の連動を 模索しているタイミングに企画書を提出

『モンスターハンター』は、発表当初から業界内部でも注目のゲームだった。原始の狩猟時代をベースにしたその世界観や、プレイヤー同士の対戦ではなく、モンスターの「ハンティング」というスタイルを取り、目的達成のための「協力」がなされるなど、従来のゲームにない性格が、新鮮な驚きとともに迎えられたのである。

通称「無印」と呼ばれる初代「モンハン」に続いて、アップグレード版の『モンスターハンター G』(以下、『MHG』)がリリースされ、好評を得ていく中で、社内では「PSP(プレイステーション・ポータブル)でもやりたい」という気運が高まっていく。「無印」リリース時から「モンハン」プロジェクトを手がけてきた小嶋慎太郎さんは語る。

「PSPというハードもあるのだから、そちらでもトライしたいという意見が出てきました。その際、『MHG』の内容をPSPに移植させるだけではなく、『MHG』の次に考えていた『モンスターハンター 2(ドス)』(以下、『MH2』)とどう関連づけるかということと、ポータブルならではの楽しみ方をどう作るのかが課題になりました。そんなタイミングで、ポータブルの企画がいくつか提出された中、一瀬の企画書に目がとまったんです。一瀬は、他のタイトルでネットワークについて理解していましたし、「モンハン」を携帯機で出したらこうしたい、という面白い企画内容が書かれてきていました」

一瀬泰範さんはこう振り返る。

「当時、僕は別のタイトルを担当していましたが、仕事が一区切り終えた時期だったんです。「モンハン」が好調なのはわかっていましたし、自分で遊んでみて、確かに魅力的です。"これは、ポータブルでやっても行ける"と思いました。そこで、ポータブルで遊ぶならここがポイントになる、という自分なりのプランを考えて、企画書にまとめてみたんです。すると当時のプロデューサーから、"じゃあ、おまえがディレクターをやれ"と(笑)。ちょうどいいタイミングでしたね」

『モンスターハンター ポータブル』(以下、『MHP』)は、驚くべきことに、一瀬さんにとって、ディレクター・デビュー作。クリエイターの「勘」と、会社の方針とが、見事に一致した瞬間である。

より若年層へ、女性ユーザーへ 『ポータブル』で年齢層拡大を図る

『ポータブル』ならではのポイントとして、繰り返して遊びやすくするためのシステムで農場施設の追加や、1人で遊びやすくするためにアイルーキッチンなどのプレイヤーを補助するシステムが追加され、より携帯機としての遊びやすさの面が強化されている。『MHP』は2005年12月に発売されて現在までに約100万本の売上げ本数があり、続いて07年2月発売の『モンスターハンター ポータブル 2nd』(以下、『MHP2』)は約170万本、わずか1年後の08年3月リリースの『モンスターハンター ポータブル 2nd G』(以下、『MHP2G』)では驚異の350万本を記録している。「『ポータブル』では、ユーザーの年齢層を拡げたい、具体的には学生層まで下げていきたいという命題がありました。携帯機の場合だと持ち歩けることで、学生同士いつでもどこでも気軽に楽しく遊べるようにしたいという気持ちは強くありました」(一瀬さん)

350万本という数字に達した背景には、口コミで熱い支持を集めていったことが大きいが、『MHP2G』で初めて現れた「オトモアイルー」(狩りにアイルーを連れて行ける)の存在のように、ユーザーの底辺を拡大させる工夫がなされていることは言うまでもない。 

「『MHP2G』に来て、あきらかに女性ユーザーが増えました。ビジュアル的にも非常にかわいいオトモアイルーの存在などはやはり大きかったですね。オトモアイルーは主人公をサポートしてくれるので、実際遊びやすくなりましたし、ネコという好感度の高い見た目も『MHP2G』のユーザー層の幅を広げた要因でもあるとは思います」(小嶋さん)

アーケードゲームで培った経験を 「モンハン」の制作に活かす

小嶋さん、一瀬さんは同期入社(98年)。共にアーケードゲームの開発に携わった実績を持つ。コンシューマーゲームは基本的にユーザーの顔が見えないが、アーケードゲームでは、ゲームセンターなどでユーザーが遊ぶ姿を見る機会があり、その経験が今に活きているという。

「アーケードゲームでは、発売前にロケテストという期間を設け、一部のユーザーに遊んでもらうんです。そこで得た反応を受けてまた微調整していくんですが、マシンに100円玉を入れて一喜一憂している人を見ると、ゲームにお金を使ってもらうということがどういうことなのかを考えさせられます。コンシューマーゲームにしても、コントローラーを握って楽しんだり悔しがったりしている方々がいるわけで、そういったユーザーさんがどうやったら楽しんでプレイできるか? ということを常に考えてゲームを作らないといけないと思っています」(小嶋さん)

一瀬さんは、現在の『MHP2』『MHP2G』の制作にも、アーケードゲームの「匂い」が漂っているはずだと述べる。

「アーケードゲームでの100円玉の重みというのは非常に大きくて、まず"このマシンに1枚入れてみよう"と思わせないと何も始まらないわけです。一度遊んでもらったら、次は"面白いじゃないか、よしもう1回"と、2枚目の100円玉を入れてほしい。ゲーム機やキャラクターなど、見た目のキャッチーさが絶対に必要ですし、触ってもらうところまで行ったら、最初のとっつきやすさ、適度な難しさ、魅力的な世界観など"面白そう"と思ってもらわないといけない。僕はアーケードゲームに携わることで、そもそもゲームというものの仕組みを学んだような気がします。ですから「モンハン」をポータブルで作るにあたって、難易度調整をデリケートにやるなど、アーケードゲームで得たノウハウが投影されていると思っています」

フェスタやイベントを企画し、 コミュニケーションツール・ゲームの環境づくりを推進

『モンスターハンター』の世界観を確実に継承し、中学生や女性など、広範なユーザーたちの口コミで一大ブームとなった『MHP2G』。350万本という数字は、従来の「モンハン」ユーザーが引き続き支持するとともに、初めて「モンハン」の世界に触れた人がいかに多かったかを証明している。

「『ポータブル』の時にアンケートハガキを見ていたら、まだまだ1人で遊んでいるユーザーが多いことがわかったんです。それで、なんとかユーザーが集合して、"皆で遊ぶともっと面白いんだよ"ということに気づいてもらう場所を作れないかと思ったんです。それがフェスタになって結実しました」(小嶋さん)

フェスタは2009年に3回目を迎え、全会場で合計3万3千人もの人々が足を運んだ。幅広い年齢層や家族連れやカップルのユーザーも多く見られ、女性ハンター限定の企画も大好評。種々のモンハン・グッズの制作に販売、ケータイモンハン公式ファンクラブ「モンハン部」の運営など、カバーする領域は、ゲーム会社のそれをはるかに超えている。

「僕らは典型的なファミコン世代。中学生の時、『ストリートファイターⅡ』に夢中になって、そこからなんとなくカプコンは意識していたと思います。最近では、電車の中で中学生同士が話していて、"昨日、やっと武器が1つ作れた"なんて会話が聞こえてくると、自分が作っているゲームでこうして楽しんでくれている人がいることに、とても喜びを感じます」(一瀬さん)

小嶋さん、一瀬さんは共に、マルチメディア学科ゲーム専攻(当時の名称)の第1期生だ。当時はゲームを専門に教える教育機関も少なく、ゲーム制作の現場に立つ特別講師の授業※などは、非常に印象に残っているという。

「業界の最先端にいる方たちの"現場感"に圧倒的な説得力を感じました。直接お話しさせていただいた経験も得がたいものだったし、やはりいちばん大切なのは、人と人とのコミュニケーションじゃないかと思うんです。出会って、意見と意見がぶつかって、いいものができていく。モンハンチームのいいところはゲーム内容もさることながら、開発者同士はもちろんですが営業管理部門とも社内連携が素晴らしいことです。密にコミュニケーションを取って連携を強めています。開発だけじゃなくプロモーションやパブリシティなどの営業力がなくてはここまでのヒットはないですから」(小嶋さん)

「教えに来ていたクリエイターの方たちも、"学生から何か取って帰ってやろう"という意欲が溢れていました。コミュニケーションに対する欲求が、貪欲だったと思います。僕たちもゲーム大賞をいただいて、"350万本、すごい!"と言われますが、ゲームの世界にはケタが1つ違うようなタイトルだってあるわけですから、まだぜんぜん満足していないし、ゲームの外側にいる人たちと、もっと出会いたいと思っています」(一瀬さん)

現在、アイルーを主人公にしたスピンオフ企画『モンハン日記 ぽかぽかアイルー村』の制作が進行中。言うまでもなく、スピンオフは、成功したタイトルからしか派生しない企画である。

とはいえ、「無印」からわずか5年が経過したに過ぎない。「モンハン」の勢いは、まだまだ止まらない。

※卒業生会報誌「HALLO」63号(2009年12月発行)掲載記事

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株式会社カプコン

小嶋慎太郎(アシスタントプロデューサー)

1998年、マルチメディア学科ゲーム専攻(当時)卒業後、株式会社カプコンにプランナーとして入社。『ストリートファイターZERO3』などの制作を経て、『モンスターハンター』シリーズには最初期から参加している。2009年からはアシスタントプロデューサーとして活躍中。

一瀬泰範(ディレクター)

1998年、マルチメディア学科ゲーム専攻(当時)卒業後、株式会社カプコンにプランナーとして入社。プランナーとして『バイトハザード アウトブレイク』シリーズなどを手がけたのち、『モンスターハンターポータブル』でディレクター・デビューを果たし、大ヒットの立役者となった。